26日未明に相模原市障害者施設で起きた殺人事件。
犯人の植松聖の思想がナチス・ドイツ障害者安楽死作戦と全く同じなんだよなぁ……

ナチス・ドイツ 障害者の殺害
「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」とアドルフ・ヒトラーは、提言しました。多くのドイツ人は「支配者民族」の概念に及ばない人々のことを思い起こしたくなかったのです。身体障害者や精神障害者は社会には「無用」であり、アーリア人の遺伝的な純粋性を脅かすため、生きる価値なしと見なされました。第二次世界大戦が始まると、知的障害、身体障害、精神障害のある人は、ナチスが「T-4」または「安楽死」プログラムと呼んでいた殺害の標的とされました。 これを優生思想優生政策と呼びます。
かつては、日本にも優生保護法という悪法が昭和23年(1948)施行、平成8年(1996)まで存在していて、知的障害者の女性の子宮を本人の同意なしに手術で取り出す(生理の時の世話が面倒だからという理由)といった残虐な行為が行われていました。

安楽死」プログラムは多くのドイツ人医師の協力を必要としました。どの身体障害者や精神障害者を殺害するかを決めるために、彼らは施設で患者のカ ルテを調べました。医師たちは実際の殺害も監督しました。宣告を受けた患者たちはドイツとオーストリアの6か所の施設に移送され、特別に設置されたガス室 で殺害されました。障害のある幼児や児童も、致死量の薬物注射か飢餓によって殺害されました。犠牲者の遺体は「焼却炉」と呼ばれる巨大なオーブンで焼かれ ました。


1941年の市民の抗議デモにもかかわらず、ナチスの指導者は終戦までこのプログラムを密かに続行し、1940年から1945年にかけて、約20万人の心身障害者が殺害されました。


EuthanasiePropaganda
ナチスが作った宣伝用ポスター

椅子に腰かけた脳性マヒとおぼしき
男性患者の後ろに、健康かつハンサムな
ドイツ青年が立ち、かばうように患者の肩に
手を置いている。そして、「この立派な人間が、
こんな、我々の社会を脅かす病んだ人間の世話
に専念している。我々はこの図を恥ずべきでは
ないのか?」というキャプションが付けられていた。

※ ナチス・ドイツ社会では遺伝性疾患をもつ人が
いかに「民族共同体」に負担をかけているか、
意味もなく国民の大事なお金を使う存在で
あるかが強調されたのであった。