臼歯陽炎のブログ

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カテゴリ: 社会

ニューズウィーク』(英語: Newsweek)とは、主に政治や社会情勢などを扱うアメリカ合衆国の週刊誌である。ニューヨークに本社がある。

概要

1933年2月17日にトーマス・J・C・マーティンが中心となって創刊され、当時は「News-Week」とハイフンが入った名称だった。ジャパン・ロビーのメディアとして第二次世界大戦前後に売り上げを伸ばし、1961年ワシントン・ポスト社に買収された当初は写真とニュースを売り物にした雑誌だったが、次第に論説やインタビュー記事、著名人によるコラム、独占取材など、多様な内容に変わっていった。

2007年頃より赤字額が拡大し、2010年5月5日にはワシントン・ポストが売却を検討していることを発表、同年8月2日に音響機器メーカー大手のハーマン・インターナショナル・インダストリーズの創業者シドニー・ハーマン (enに売却すると発表した。2010年、1ドル(約78円)で売却された[1]

ニューヨークの本社のほかに、アメリカ国内外22の支局がある。国内支局はロサンゼルス、シカゴ/デトロイト、ダラス、マイアミ、ワシントンD.C.、ボストン、サンフランシスコ、外国支局は、メキシコシティパリ東京ワルシャワケープタウンフランクフルト香港エルサレムロンドンモスクワ北京、ベルリン、バグダッド、南アジア、ケープタウン、メキシコシティおよびブエノスアイレスにある。


2012年10月18日の発表によると、「印刷版として提供される Newsweek は米国では2012年12月31日に発行されるものが最終号となり、以降は 「Newsweek Global」としてデジタル版のみの発行となる」としていたが、2014年5月に印刷版の発行を再開した。再開して最初の号の表紙はビットコインに関する記事であった[2]

競合誌

創刊以来、アメリカ国内のニュース雑誌の発行部数では、おおむね「タイム」誌に続く2位となっている。3位は「USニューズ&ワールド・レポート」。2003年の発行部数は、アメリカで約310万部、アメリカ国外で約90万部の計400万部とされ、世界に約2500万人の読者がいると発表されている。

英語版

英語版にはアメリカ国内版と国際版があり、それぞれに別の編集長がいる。アメリカ国内版は国内のニュースやトピックを中心にしており、国際版とは内容が大きく違う。国際版には、太平洋版、ヨーロッパ版、ラテンアメリカ版があり、互いに構成・内容が違うことも多い。

外国語版・現地版

現地版として日本版、韓国版、ポーランド版、ロシア版、スペイン語版(欧州スペイン語、南米スペイン語)、アラビア語版、セルビア語版、トルコ語版、のほか、月刊の中国語版である「Newsweek Select」がある。オーストラリアには提携誌である「The Bulletin with Newsweek」があったが、2008年1月に廃刊となった。

日本版

日本版は1986年1月23日にTBSブリタニカから創刊された。出版元はTBSブリタニカから阪急コミュニケーションズを経て、2014年10月よりCCCメディアハウスが発行している。発行部数6万部[3]

  • 価格:税込み450円
  • 発売日:毎週火曜日
  • 言語:日本語
  • 編集長:横田孝

スクープ・問題となった記事

北朝鮮日本人拉致問題報道

2003年10月22日号「拉致された北朝鮮報道」の記事において、「家族会および救う会が「拉致報道」をコントロールしていて、『被害者にインタビューできるのは、彼らの眼鏡にかなった記者だけ』」と批判した。実際は、5人の拉致被害者家族はメディアの個別取材にはいっさい応じておらず、特定の記者を選別しているわけではなかった。救う会はこの記事に抗議し、編集部は当該部分の誤りを認め、後日「お詫び」を掲載して関係者に謝罪した[4]。ただし、横田めぐみさんの遺灰とされるものからDNAが検出されたとの報道に対し、イギリスの科学者が確認実験をしようとしたところ、日本政府によって認められなかったため、遺灰からDNAが特定できたことの科学的な根拠が薄いことを明らかにした。

『華氏911』批判記事

2004年6月28日号(日本版2004年7月21日号)において、マイケル・ムーア監督によるブッシュ政権批判のドキュメンタリー映画『華氏911』を非難する記事(日本版タイトル「ここが変だよ華氏911」)を掲載した。記事を書いたのは、ビル・クリントン大統領のモニカ・ルインスキー・スキャンダルのスクープで有名なマイケル・イシコフ記者で、記事の中でイシコフは、「『華氏911』には事実の歪曲や論理の飛躍が目立つ」としてムーア監督を非難した。もっとも、イシコフが『華氏911』の問題点として具体的に取り上げた箇所は以下の2つのみであった。

  • 『華氏911』では、911テロ事件直後にアメリカ全土の民間航空機が飛行禁止となっている中で、ビン・ラディン一族を含むサウジアラビアの王族を乗せたチャーター便だけがブッシュ大統領の意向で飛行を許可され、アメリカ国外に脱出できたとしているが、彼らが国外に脱出したのは、飛行禁止が解けた9月14日以降のことである。
  • ブッシュ元大統領とビン・ラディン一族が関係していた投資会社「カーライル・グループ」は、国防会社の「ユナイテッドディフェンス(以下UD社)」を所有しており、「911で大きな利益を上げた」と『華氏911』では指摘しているが、実際はUD社がアメリカ陸軍のために11億ドルをかけて開発していたクルセイダー戦車の導入が中止され損をしている。

これに対してムーア監督は、次のように反論している。

  • たしかにサウジアラビア王族が出国したのは飛行禁止解除後だが、チャーター機は飛行禁止だった9月14日以前に飛行し、アメリカ国内に点在しているビン・ラディン一族を次々とピックアップしていた。事実、9月13日のタンパ国際空港の飛行記録には、1機の自家用ジェット機が同空港に着陸、3人のサウジアラビア人を乗せて飛び去ったと記載されている。
  • UD社がクルセイダー戦車の導入をアメリカ陸軍に破棄されたのは、カーライル・グループがUD社を売却した後であり、カーライル・グループは911後にUD社を売却して莫大な利益を上げていた。

「これらは少し調べれば判ることなのに、わざと時間軸をずらして読者に『華氏911』に疑念を抱かせようとしている悪質な中傷記事である」とムーア監督は抗議した。さらに返す刀で、記事を書いたイシコフ記者が過去に勤めていた『ワシントンポスト』誌で、イランコントラ事件ホワイトウォーター疑惑を巡って憶測に満ちた記事を書いたことで、同誌に訂正文を掲載させるなど、キャリアに問題のある記者であることを暴露した[5]

結局、抗議を受けてイシコフとニューズウィークは記事の訂正を余儀なくされた。なお、イシコフ記者はその後もニューズウィークに残り、グアンタナモ収容所コーラン冒涜報道事件(後述)を引き起こしている。

グアンタナモ収容所コーラン冒涜報道事件

2005年5月9日号のマイケル・イシコフ記者による記事『ペリスコープ』において、「グアンタナモグアンタナモ湾収容キャンプで、イスラム教の聖典コーラン便所に流して囚人を動揺させ、自白を強要する尋問法が使われている」という、匿名のアメリカ軍関係者の証言を掲載した。この記事が掲載される以前から、「アメリカ軍人が囚人を尋問する際に、目の前でコーランを破ったり蹴ったりしている」という報道があったが、アメリカ軍の関係者が公式に認めたという記事はこれが初めてだった。

この記事が掲載されたのを機に、イスラム国家で猛烈な反米抗議運動が巻き起こり、パキスタンとアフガニスタンでは、抗議デモと警官隊の衝突で16人の死者が出た。

事件を受けて、アメリカ軍は内部調査を開始し、その結果「報道されたような事実はない」と発表した。ライス国務長官やマクラレン報道官ほか、軍高官等は「事実無根の記事でイスラム世界でのアメリカのイメージを傷付けた」としてニューズウィークを激しく非難した。

ニューズウィークは当初、「記事を撤回する気はない」としていたが、非難の声が高まったため記事の再検証を開始した。再検証の結果、取材源のアメリカ軍関係者にコーラン冒涜の事実を確認したところ何の反応もなかったので、事実を認めたとみなし掲載したという経緯を明らかにし、「高官の沈黙を確認と間違えて判断して掲載してしまった」と非を認め記事を撤回した。ただし、誤報とは認めなかった。

ニューズウィークは「読者への書簡」と題する謝罪文を掲載し、以後匿名のリーク記事の乱用を戒める旨を読者に誓った上、アメリカ軍関係者、暴動での犠牲者と遺族へ謝罪した。

土砂災害(どしゃさいがい)とは、大雨地震に伴う斜面崩壊(がけ崩れ・土砂崩れ)、地すべり土石流などにより人の生命財産が脅かされる災害[注 1][1]

定義

地表の斜面を構成する岩石重力を受けており、何らかの要因により不安定になると下方へ移動する。その様式には、落石、地すべり、崩壊、流砂、土石流などいくつかの種類がある。これらの現象は全て一括りにして、「マス・ムーブメント(英語: mass movement)」[2]、または「斜面移動(英語: slope movement)」、あるいは「(広義の)地すべり(英語: landslide)」[注 2][3]という用語で、専門的には定義される。

「土砂災害」は、上記のマス・ムーブメント(あるいは斜面移動、広義の地すべり)により発生する災害全般を指す[4]。ただ、斜面崩壊・地すべり・土石流の3分類が定着しており、この3つが土砂災害であると説明する場合がある。特に砂防、防災の場面でこのような分類・説明をすることが多い[5]。なお、この概念は世界共通ではない(cf.#日本の特質性[注 3]

類義語に、斜面で起こるという点に着目した「斜面災害」[6][3]、山地で起こるという点に着目した「山地災害」[7]があり、場合により同義としたり使い分けたりする。このほか、地盤を人為的に削ったり盛ったりした造成地で起こる法面崩壊などの災害も、土砂災害に含めることがある[8]

日本の特質性

衛星観測を基に作成された世界の土砂災害リスク分布図。紫色は危険性が高い。

後述(#原因)の通り、土砂災害は起伏に富んだ土地で起きやすい。日本は、国土の7割を山地丘陵地が占め、地殻変動が活発な変動帯(環太平洋変動帯)にあり、火山も多いことことから土砂災害が起きやすい。そのうえ、平野が少なく土地利用に制約があるため、特に第二次世界大戦後の経済成長や人口増加に伴って郊外の台地や丘陵地までもが都市化し、土砂災害が居住地域に及びやすくなった経緯がある[8]

一方、国土の広い国、例えばアメリカやカナダ、ロシアなどでは、こちらも広大な山地を有するものの、地すべりなどが発生して道路や住宅が被害を受けても、場所を移して復旧するほうが安上がりなため、同じ場所で再建し更に崩壊を防止する工事などを行うことは少ない[9]。例えばアメリカの場合、工事を行う場合も、政府・行政が行う公共工事は、道路への土砂流入を防ぐ、農地などの土砂流出(侵食)・土砂流入(体積)を防ぐといった目的が主であり、住宅を守る目的では行われない。これは、斜面崩壊などの災害について、リスクを織り込んで居住を選択するという、受益者負担の原則を重く見る考え方が根底にあるとみられる[10]

また学問においても、欧米では粘土質地盤の性質を扱う土質力学が広く受け入れられ、土砂の粒径や土質・移動形態・移動速度などを基準とする細かい「地すべり分類」[注 2]が発達し、防災を意識することが少ない。対する日本では、土木工学が岩や礫質地盤、斜面安定などの理論に長け、分類も地「すべり」と斜面「崩壊」の区分を行う独自のものになっている[9][11]

原因

発生機構

斜面を構成する土塊や岩盤はふつう、重力摩擦力などの作用の結果、「斜面を移動させようとする力」よりも、それに「抵抗する力」が大きい状態で安定している。ここで、前者が大きくなったり後者が小さくなったりすると、バランスが崩れて変形を生じる[12]。土質力学上、これは土塊の剛性を超える外力によるピーク破壊と呼ばれ、破壊時の外力をピーク強度という[12]。また、斜面安定を考える上では、仮定したすべり面において土塊を滑動させるせん断破壊である[13][14]

斜面を移動させようとする「せん断応力」が、それに抵抗する「せん断抵抗力」を上回ると滑動が始まる。後者に対する前者の比を安全率 Fs といい、斜面安定の指標とする。実際には、クーロンの破壊規準により求められる土の強度定数などを組み入れた解析法を用い、計算を行う[15]

ピーク破壊の直前に生じる微小変形に対応して、斜面崩壊の実験等では崩壊直前に極めて低速のクリープと呼ばれる変形が生じることが確かめられている[12]。このクリープは土砂災害のいわゆる前兆現象を生じさせる原因の1つでもある。

斜面崩壊や地すべりの発生は、土塊に含まれる水の作用が関わる場合が多い。これは、浸透した水が間隙水圧を増加させ、土粒子の有効応力が減少して、せん断抵抗力が低下しせん断破壊に至るメカニズムである。土中の水を抜く、あるいは水を浸み込ませないような工事により、間隙水圧を減少させることが対策として有効である[16]

素因

地球上において、土砂災害の主な素因は、地殻変動、火山活動、寒冷な気候である。地殻変動は、断層運動による地盤の破砕、造山運動による地盤の隆起などを起こす。火山は、崩れやすい火山灰火砕流などの堆積物(火山砕屑物)を一度に大量に降らせ、起伏のある溶岩地形を造る。高緯度や高山などの寒冷地域では、凍結融解を繰り返す周氷河作用が崩れやすい地質を造る[17]

世界における巨大な崩壊・地すべり(崩壊体積107 - 109 m3)の発生地域は、インドネシアネパール中国日本台湾フィリピンニュージーランドアメリカカナダペルーなどが挙げられ、ほとんどが変動帯(環太平洋変動帯あるいはアルプス・ヒマラヤ変動帯)に位置する[17]。なお、例外的にノルウェースウェーデンなどでは、氷河の後退による岩盤地すべりやクイッククレイ地すべりが起こる[17]

その他の素因として、強風化花崗岩真砂土)や火山性土壌(シラスなど)、厚い堆積土(レス)といった局地的な地質、また、過放牧大気汚染による植生の破壊、過度な採鉱、山沿いや台地の市街地化といった人為的・社会的要因も挙げられる[17]

誘因

土砂災害の誘因(引き金)には、集中豪雨台風などによる大雨[18]地震、火山活動、天然ダムの決壊、人工的な掘削などがある[17]

日本の土砂災害の状況

近世以降

歴史的に見ると、日本では江戸時代を通して山林の荒廃が進行し続け、江戸末期から明治初期にかけては最も荒廃した状態にあったと考えられる。これは、この時代、日本人が生活する上で、生活に必要な物、建材、船や荷車、燃料、肥料などの大部分に木材を利用し、森林に大きく依存していたためである。庶民は、生活苦から株や根まで掘り起こして燃料等に用いていた時期もあるほどだった。各地で焼き畑の禁止や植林、伐採禁止・入山禁止などの御触れが出されたが、効果は乏しかったと考えられる。集落に近い里山を中心に伐採された木の無い山林が広がり、本州の広い範囲、特に西日本にはハゲ山が多く分布していたと推定される。これにより、山林では激しい土壌浸食や表層崩壊が多発した[19]

明治に入ると、産業革命により木材の代替品が開発・普及し始めるが、工業化や戦争などで木材の需要は高く、山奥まで森林鉄道を敷いて伐採が進められた地域もあった。一方、防災のため明治政府は治水三法[注 4]を制定し、国家として「治山」や「砂防」の事業を開始した。ヨーロッパからの技術導入により、ハゲ山の土砂を安定させる山腹工や砂防ダムの技術も発達した[20]

第二次世界大戦後には、復興のための木材需要により、伐採が急速に奥地まで拡大してしまう。一方で、植林政策により伐採地は急速に人工林化され、ハゲ山はほとんどなくなる。また高度経済成長期には、安価な輸入木材が国産に取って代わり、伐採は急速に減少する。しかし、崩壊防止機能が弱い若齢林(若い人工林)などで、表層崩壊や土石流が多発した。さらに、都市化により市街地のがけ崩れが顕在化した。1960年代後半から1970年代前半には、毎年100名以上が土砂災害の犠牲となり、自然災害犠牲者の半数以上を占める状況となった。これに対し、がけ崩れ防止や砂防ダムなどのハード対策が進められる。その後、戦後大量に植林された森林が成長して崩壊防止機能が高まり、ハード対策の進展も相まって犠牲者は次第に減少してきた[21][22]

現代

1979年 - 2008年までの30年間には、平均するとおよそ年間1,000件程度の土砂災害が発生している[23]。また、2009年 - 2013年までの5年間も同じく年間1,000件程度である[24]。ただし、気象条件などにより200件位から2,000件超と大きく変動がある[23]。例えば、2004年は新潟・福島豪雨福井豪雨、多数の台風上陸などにより土砂災害が多発し、2,537件に上った[24]

死者数も年により変動があり、例えば2003年 - 2013年の11年間では、2007年は0人、2010年は11人だった一方、上記のように各地で土砂災害が多発した2004年は62人、台風12号による紀伊半島大水害で犠牲者が多く出た2011年は85人に上った[24]

自然災害全体で見ても、土砂災害被害の比率は低くない。1980年代から2000年代まで、年変動は大きいものの、1割から4割あり、年によっては6割に達している[22]

家事使用人(かじしようにん)は他者の家庭において屋内の作業を行う職業。英語圏ではドメスティックワーカー: Domestic worker)、ドメスティックサーバント: Domestic servant)などという。中世的な召使い・家臣から近代的な労働者への過渡的な存在であり、自分の意志で主人(雇用者)を選ぶ自由を持ったが、主人と対等な人格を認められることはなく、全面的な服従を求められた。衒示的消費の典型として、中流階級の繁栄とともに多くの労働人口、特に産業革命によって伝統的家族経済が崩壊し現金収入のために労働せざるを得なくなった女性を引きつけ、19世紀末から20世紀初頭までのイギリスにおいて最大の職業集団となった。ヴィクトリア朝イギリスに通底する「家庭の天使」、「完全な淑女」といった理念を支え、リスペクタビリティやスノビズムと深く結びついていたため、ヴィクトリア朝を象徴する職業の一つといわれる。

20世紀前半までは圧倒的にフルタイム・住み込みでの形態が主流であったが、20世紀半ばまでにはその様な雇用形態の家事使用人は廃れ、現在ではオ・ペアau pair, 語学留学などの際、ホスト・ファミリーの家事を手伝うかわりに少額の謝礼が支払われる)やパートタイムの家事労働者が主流となっている。


歴史的前提としての奉公制度

家事使用人の作業内容という点から見ると、同様の職業は人類の歴史上いたる所にみることができる。奴隷労働力が安価に供給されていた古代社会においては家内奴隷の仕事であり、自由民の仕事ではなかった。農業などの主たる産業の生産を奴隷に依存していなかった古代エジプトメソポタミアのような社会でも、家事労働に従事する家内奴隷は一般的だったのである。しかし中世になると、少なくとも西ヨーロッパにおいて、奴隷制はあまり一般的ではなくなり、それと共に家事労働についてまわった奴隷身分という烙印も薄れていく。特に中世のイングランドでは、若い貴族がより高位の貴族の屋敷において行儀見習いの一環として奉公するという慣習が存在していた。清教徒革命による社会混乱を期に男性の紳士見習いは下火となったが、それ以降も、貴族女性は自分の身近に置く侍女は良家出身者から選び続けていた[1]

これら奉公人は必ずしも貴族の屋敷のみで見られた存在ではない。多くの奉公人が出身とした、小農場主たちの家庭においても奉公人たちの姿は見ることができた。生家を離れ、自分と同じか、より上位の階層に属する「家族」に入り、独立し世帯を構えることが可能となるまでの期間を過ごすという習慣は、当時のイギリス社会における広範な階層において見られた奉公制度の一環であった。なお当時の「家族」は、家計を共にする集団全体を意味し、血縁のみならず奉公人までも含んでいたため、社会的に高位なほど、多くの奉公人を受け入れる事となり、「家族」の規模は大きくなった。この様な大家族では「家族」全体が家父長の支配・監督下に置かれており、奉公人たちは衣食住を保障される代わりに、「子供」に似た地位にある存在として「父親」である家長にほぼ全面的に従属していた。なぜなら当時の共同体を構成する単位は個人ではなく、家長を中心とした家族であったため、家長のみが世帯主として共同体における権利を主張できたのであり、彼との関係が無ければ、奉公人に限らず「家族」の成員は社会的にいかなる発言権も持っていなかった[2]

家族関係の変化

従属的な立場にあったとはいえ、中小の農場主たちの世帯においては本当の家族の様に手厚く扱われることも少なくなかったようである。小農場主の妻であれば奉公人と並んで家事を行うことも珍しくはなく、奉公人との社会的出自も大きくは違わなかったため、しばしば見分けがつかないこともあった[3]。主人と奉公人、両者の間の峻別が進むのは18世紀のことである。産業革命囲い込みによって生じた伝統的家族経済から消費者経済への転換は、生産単位でもあった「家族」を単なる消費の場へと変化させた[4]。それに伴い、家族の延長であった奉公人も共同体から切り離された労働者である使用人としての性質を強めていく。

主人とサーヴァントとの社会的立場の乖離は別の要因からも加速された。農業革命以降、イギリス農業は効率化を推し進めヨーロッパにおける農業先進国としての地位を確立していたが、農業生産の増加と穀物価格の上昇は農場主たちの経済力を確実に向上させ、18世紀末までには料理人や複数の使用人を雇用することを可能にしていた。このことは、かつては家事使用人と並んで家事や農作業を行っていた農場主の妻たちが家事と家業から手を引くことを意味した[5]。使用人たちを働かせ妻をあらゆる種類の労働から引き離しておく事は家長たる夫の経済力の証明となり、それはやがてリスペクタビリティを示す上で不可欠なこととなっていく。

雇用者の増加

農場主が複数の家事使用人を雇用可能になったことと平行して、家事使用人を雇用することが可能な、潜在的な主人たちが増加を始めていた。元々、家事使用人を雇用していた人々は主に地主貴族、農場主など農村における有力者、いわば農業資本家たちであったが、商業革命の結果、商人や専門職など中間層と呼ばれる人々が興隆し始めたのである。彼らが新たな雇い主となり家事使用人の数は急速に増加し、17世紀までに役人、専門職、商人などは男性に比べ安価な女性使用人を雇用しているようになっていた[6]。その後、ミドルクラスの成長と足並みを揃えながら、家事使用人の数は増加の一途をたどり、19世紀末から20世紀初頭に最盛期を迎える。その背景にある要因として、家事使用人の雇用が衒示的消費の最たるものであったこと、そのために所属階級の指標と見なされていたことが挙げられる。またイギリス帝国の拡大に伴う本国における深刻な女性人口の過剰、そして何より他に選択肢となりうる職業の欠如も挙げられる。

女性使用人への転換

中世においては貴婦人の侍女や洗濯婦を除くと家事使用人の職はほぼ男性によって占められていた[7]。その要因として中世までの使用人はその根本的な性質において封建的な家臣であり、有事の際には戦力として見做されたこと[8]、また伝統的な家族経済においてはそもそも女性が現金収入のために正規の労働力として働きに出る必要が無かったことが挙げられる。

しかし、この男女比は18世紀後半を境に大きく変化する。アメリカ独立戦争の戦費を賄うため、全ての室内男性使用人に対し課税が行われるよう(使用人税)になると、多くの職において男性に代わり女性が雇用されるようになった[9]。その他にも男性使用人の賃金が高騰した上に、事あるごとに主人や来客に対し「心付け」を要求するなど、「反抗的な」態度がしばしば指摘され、そのために、より従順で扱いやすいと考えられた女性が使用人に適すと考えられたことを忘れてはならない。女性使用人の先天的性質を服従と忠誠に結びつける事は言うまでもなく「幻想」であったのだが、産業革命の進展にともない家事使用人に代わる雇用が生まれ、立場が向上した男性とは異なり、同じ産業革命により伝統的な仕事(糸紡ぎなど)が失われたにもかかわらず、鉱山周辺や新興工業都市以外では家事使用人に代わる雇用が存在しなかった為、女性使用人は男性使用人より従順にならざるを得なかった。

ただ、使用人税を境に大きく減少したものの、男性は依然として家事使用人として重要な役割を占めていた。コストの点では圧倒的に女性使用人が安価であったが、男性使用人はその高いコスト故に衒示的消費としての価値を高めたためである。

家事使用人の衰退期

第一次世界大戦は人類史上初の総力戦であり、イギリスも他国の例に漏れず、全国民、全産業を挙げて戦争に協力し、家事使用人も例外ではなかった。男性、特に若者たちを給仕や従者などに従事させていることが批判されたのに加え、愛国心に駆られた雇用者たちが使用人に対して従軍を奨めることもしばしば行われた。彼らはイギリスに勝利をもたらすべく屋敷を離れ、戦場あるいは工場へと職場を変えていった。男性使用人のみならず、女性使用人にとっても第一次世界大戦は一つの転機であった。多くの男性人口が軍隊に流入した結果、男性によって占められていた工場労働者、店員、事務員といった職が極端な人手不足となったのである。これらの欠員を埋めるべく、臨時に他産業から労働資源の再配分が行われた。女性労働人口の大部分が従事し、イギリス国内において最大の職業人口を誇った“domestic service”がその供給源となったのである。

家事使用人たちが新たに得た職は戦争終結と同時に復員した男性によって再び占められることとなるが、家事使用人以外の選択肢が示されたという点で、この一時的な解放は大きな意味を持った。これ以降、使用人たちは以前から感じていた不満(雇い主との差別待遇、私生活に対する干渉、いつ終わるとも知れない労働など)をより強く意識するようになる。自由を求める家事使用人と従来の「節度」を守らせようとする雇用者の軋轢は第二次世界大戦を経て更に続き、多くの人々が家事使用人ではなく、タイピストなどの新しい職業を選択する。戦後の社会変化で家事使用人を雇用する生活自体が過去のもの、あるいは特権的なものとなるにつれ、かつては中流以上のすべての世帯で見られた家事使用人の存在はごく限られた一部の富裕層にしか見られない「貴重品」となっていった。

近い将来、人工知能が発達して約4割の仕事が失われるとされています。
その際に社会制度として有効になってくるのが、ベーシックインカムです。

ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想[1][2][3][4]基礎所得保障基本所得保障最低生活保障[5]国民配当[6]とも、また頭文字をとってBIともいう。フィリップ・ヴァン・パレースが代表的な提唱者であり、弁護者である。しかし少なくとも18世紀末に社会思想家のトマス・ペインが主張していたとされ[7]1970年代ヨーロッパで議論がはじまっており、2000年代になってからは新自由主義者を中心として、世界と日本でも話題にのぼるようになった[8][9][10][11][12][13]

概説

国民最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想。生存権保証のための現金給付政策は、生活保護や失業保険の一部扶助、医療扶助、子育て養育給付などのかたちですでに多くの国で実施されているが、ベーシックインカムでは、これら個別対策的な保証ではなく包括的な国民生活の最低限度の収入(ベーシック・インカム)を補償することを目的とする。

包括的な現物給付の場合は配給制度であり、国民全員に無償で現金を給付するイメージから共産主義社会主義的と批判されることがあるが、ベーシックインカムは自由主義資本主義経済で行うことを前提にしている。

新自由主義論者からの積極的意図には、ベーシック・インカムを導入するかわりに、現行制度における行政担当者による恣意的運用に負託する要素が大きい生活保護・最低賃金・社会保障制度などに含まれる不公正や逆差別といった問題を解消し、問題の多い個別対処的福祉政策や労働法制を「廃止」しようという考えが含まれる。

一方で、この考え方・思想に対しては古代ローマにおけるパンとサーカスの連想から「国民精神の堕落」など倫理的な側面から批判されることがある。所得給付の額次第では給付総額は膨大なものになり、国庫収入と給付のアンバランスが論じられたり、税の不公平や企業の国際競争力の観点が論じられることもある。

思想史

賃金補助制度の歴史は、1597年のイギリスにおける救貧法にさかのぼる。人々から救貧税を徴収し、文字通り貧民を救済する制度である。1601年にはエリザベス救貧法が制定され、救貧は地方ごとに行うのではなく、国家単位で行われることになる。

1795年〜1834年にはスピーナムランド制が実施された。この制度は、一定基準以下の賃金労働者に、救貧税として徴収した額の中から生活補助金を支出するというものである。この制度の背景には、ナポレオン戦争と凶作によって農民の窮乏が深刻となったという事情があり、補助金の額は食料品(パン)の価格と家族の人数によって算定された。この制度は人道主義的な政策ではあったが、労働意欲を低下させ、救貧税負担を増大すなわち労働者の賃金下落を引き起こす結果となり、やがて廃止となった。

やがてBIの構想が18世紀末に出現した。BIの最初の提唱者は以下に挙げるトマス・ペインとトマス・スペンスの2人だと考えられる。

トマス・ペイン (1737-1809)はイングランドの哲学者である。彼は1796年の著書『土地配分の正義』において、人間が21歳時に 15ポンド を成人として生きていく元手として国から給付(ベーシック・キャピタル)、50歳以降の人々に対しては年金として年10ポンド給付するという案を発表した。その案では、土地を持つ人間に地代として相続税を課し、財源を賄うとされた。BIに類似しているものとしては世界最古の案と言えるだろう。彼の次に出てきたBIの提唱者はトマス・スペンス(1750-1814)で、イングランドの哲学者である。彼は1797年の著書『幼児の権利』において地域共同体ごとに、地代(税金)を集め、公務員の給料などの必要経費を差し引いた後の剰余を年4回老若男女に平等に分配するという案を発表した。これは純粋なBIとしては世界最古の案と言える。

彼ら二人が出現した後、19世紀にも断続的にBI構想が生じた。1848年に、ベルギーの思想家ジョセフ・シャルリエが、自著「自然法に基づき理性の説明によって先導される、社会問題の解決または人道主義的政体」において、地代を社会化・共有化しそれを財源するBIを構想した。また同年、J・S・ミルが自著「経済学原理」の中で、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最小限度の生活資料を割り当てるという案を示した。

シャルリエやミルがBIを主張した40年後の1888年には、米国の作家であり社会主義者のエドワード・ベラミーが、自著「顧みれば」の中でベーシックインカムに近いシステムを描いた。その内容は伊藤(2011)によると、以下のようだったとされる。“私企業に代わり、国家があらゆる財の唯一の生産者となった未来(二〇〇〇年)のユートピア社会のあり方として、毎年、国民の生産のうちの各人の分け前に相当するクレジットが公の帳簿に記入されるとともに、各人にそれに対応するクレジット・カードが発行され、それによって共同体社会の公営倉庫からなんでもほしいものを、いつでもほしいときに買うことができる様子を描いていた。”この中には引用部分の冒頭にあるように、社会主義的な発想も含まれているため、自由競争を否定しない制度であるBIと必ずしも一致しない側面もあるが、それぞれの人に富を分配するという点ではBIと共通する。また、その分配の方法として現金ではなく「クレジット・カード」を発想したことは極めて斬新であり、この発想はBIの実施方法を考えるうえで、現金給付特有の問題を排除したい場合 などに有用であると考えられる。

やがて20世紀になるとBI構想を考える研究者が多く出現した。一般的な知名度は高くないが、BI構想の歴史を語るうえで欠かせないのがC・H・ダグラス (1879-1952)である。彼は、自らの著書で社会信用論というシステムを発表し、月5ポンド の国民配当を提唱した。その財源は貨幣発行益である。当初、これに対して正統派の経済学者であるケインズ は否定的であったが、のちに肯定的な立場をとっている。

また、W・ベヴァリッジ(1879-1963)は『ベヴァリッジ報告』(1942年)で社会保険を中心としつつ、補足的なものとして公的扶助をおくモデルを提唱した。このモデルは、「稼得能力の喪失ないし稼得能力の不足に陥った時に所得を保障することによって、貧困を防止する」という彼の考えに基づいている。また、彼はケインズと共にケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家 を提唱した。ケインズとベヴァリッジは、BIと直接の深い関係は無いが、社会保障の歴史を語るうえで欠かすことの出来ない二人であるので、ここに記した。

20世紀半ばにBIについて具体的な数値を用いて提唱したのが、ジュリエット・リズ=ウィリアムズ(1898-1964)であり、イギリスの女性作家であり経済学者である。彼女は『新しい社会契約』(1943年)で社会配当(basic allowance)と呼ばれるBIに極めて近いものを提唱した。給付額は、週1ポンド かつ扶養する子供一人当たりに週0.5ポンドとした。財源を税とし、ミーンズテストを行わない点でBIと類似するが、就労の意思が無く、かつ家事労働に従事していない人を給付対象外とした点ではBIと異なる。財源として比例所得税を主張した点と労働インセンティブを高めるべきという主張が、のちのフリードマンらが唱えた負の所得税という構想に影響を与えた。続いてジェイムズ・E・ミード (1907-1995)は、社会保障のシステムにおいて、ベヴァリッジが提唱した社会保険方式ではなく税方式を提唱した。そして社会配当という呼称でBIを提唱した。彼はBIにより有効需要を創出かつ労働需要を減少させ、社会保障・経済・完全雇用のサイクルを循環させるという考えを持った。 また著名な経済学者M・フリードマン(1912-2006)は、1962年の「資本主義と自由(Capitalism and Freedom)」で負の所得税を提唱した。先述のように、リズ=ウィリアムズの影響を受けたとされる。

メリット

ベーシックインカムは、年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を縮小することにより、「小さな政府」を実現するのに役立つといわれている[8][9][10][2][3][12]

また、最低限の生活を保障という点から、企業は雇用調整を簡単に行うことができるようになり、雇用の流動性が向上し[9][10]、新産業創出などの効果があるという意見がある[8][3][12]

貧困対策

ベーシックインカムの基本的な目標は一定の所得を無条件で保障することで、すべての国民が最低限以上の生活を送れるようにすることである[14]。ワーキングプア問題への処方箋として期待する向きもある。ワーキングプアは、自己の年収が200万円を下回る貧困層の立場に置かれているものの、辛うじて生活保護を要するほど困窮した立場にはないとして、従来の社会保障制度では救済されない。日本にベーシックインカムを導入すれば、ワーキングプアにも社会保障を受ける機会を提供できるとされる[要出典]。また生活保護のように、生活水準が著しく低下してから人々を救う「救貧」と異なり、「防貧」の側面がある。

少子化対策

ベーシックインカムは負の所得税と異なり、世帯ではなく個人を単位として給付される。子供を増やすことは世帯単位での所得増加に繋がるため、少子化対策となりうるという考えがある[15]

地方の活性化

ベーシックインカムの給付額は生活に必要な最低限といわれることが多い。全国一律であると仮定した場合、物価の安い地方に生活する動機付けになるという意見がある。

社会保障制度の簡素化

現在ある複数の年金制度、ハンディキャップを負った人のための保障、失業保険、生活保護など種々の社会保障制度のうち、失業保険、生活保護、および基礎的な年金などベーシックインカムで代替できるものは一本化し、他を補助的に導入することで簡素化されると予想される[要出典]。これにより最近特に問題になっている生活保護の不正受給問題が解決できる[要出典]

行政コストの削減

社会保障制度を簡素化する場合において、それらの運用コストは簡素化に応じて削減される。これはベーシックインカムの導入目的の一つでもある。さらにベーシックインカム実現への課題の一つである財源問題を(他の手段によることなく)同時に解決可能との意見もある[16]

また、現行の生活保護や雇用調整助成金では働かない状態を維持するため受給の条件に合わせる人がいる、負の動機付けや、交渉や制度の利用の得手、不得手から、適切な可否判断が難しいという意見がある。

労働意欲の向上

現在の年金生活保護の制度には所得制限があり、働いて収入を得ると年金や生活保護の減額や支給停止が行われ収入が減少するため労働意欲の低下をまねいている。さらに真面目に働くより、全く働かず生活保護に頼るほうが収入が多くなる逆転現象が発生するため[17]、現在の年金や生活保護の制度は更なる労働意欲の低下をまねいている。

一方ベーシックインカムは所得制限がないため、働けば働くほど収入が増える。そのため労働意欲が向上するという意見がある[17]

景気回復

ベーシックインカムは貨幣を国民に直接給付する形式の景気対策という考えもある[誰?]。税金を財源としたとき、高所得者より低所得層の方が財を購入する傾向が高いという仮定において、高所得者の貯蓄から消費に回される貨幣の割合を増やすことになる。

余暇の充実

ベーシックインカムにおいて、労働は、最低限度の生活を起始点として、必要な分だけ賃金を得る方式であるという考えがある。この前提では仕事と余暇の割り当てを自由に行えるという点から、多様な生き方を認めるという思想とも取れるという意見がある。

景気刺激策という観点では、余暇を楽しむ選択をした人々がさまざまな財を購入してくれる場合に、その効果は高いという意見がある。生産力の上昇を見込んだ上で、資本主義経済において、常に需要を確保する必要があると仮定すると、マクロ経済的にはよい状態になるという意見がある。

公共投資は景気刺激効果をもたらし[18]GDP上昇に繋がる。ベーシックインカムはこれらの景気刺激効果と変わらなくても、国民総幸福 のような指標では差が生じるという意見がある。#景気刺激策としての効果参照。

ワークシェアリングによって、同時に雇用の形式も多様化している方が制度的な整合性がよいという意見がある。

非正規雇用問題の緩和

正社員という制度が、同じ労働を行う非正社員との間の、賃金や社会保障における格差を生んでいるという考えがある。例えば、非正社員等のワーキングプアは正社員とは違って給与が比較的安い上、国民健康保険や住民税について、前年の年収に基づいた査定がなされて支払う金額が乱高下する。また、ワーキングプアの多くは雇用が不安定であることから、正社員のように給与所得控除など各種の減免措置を受ける機会が乏しい。そのため、比較的裕福な正社員に比べ、ワーキングプアの方がより高い税率で課税されかねない悲惨な現状がある。これを是正する方策として、ベーシックインカムの導入は有効である。また、企業の体力という視点から、現実的には雇用の流動性、生活保障という2つの側面を切り離し、ワークシェアリング、ベーシックインカムという形で組み合わせた場合、正規雇用を増やす政策よりも、企業の負担を軽減するという効果が期待されるという意見がある。確かに、企業側も社員の生活のための無理な雇用継続をする必要がなくなるために、企業の経営効率が良くなる。このことによって、職場環境や雇用環境が向上し、周りの労働者にも便益が生じる。

ブラック企業の矯正

仕事を辞めてもBI給付によって生活を送れるため、不本意な労働をしている人々が仕事を辞めることができる。それに伴い、劣悪な労働環境下で働く労働者に支えられてきた、いわゆるブラック企業が淘汰されていく。所得が保証されれば劣悪な労働環境で無理に奴隷労働する必要がなくなるため、違法行為グレーゾーンを含む劣悪な労働環境で労働者を働かせているブラック企業の悪しき企業文化を矯正できるという意見がある[誰?]

産業空洞化の防止

所得が保証されれば最低賃金の必要が無くなるので、最低賃金制度を撤廃でき、その結果、海外の安い労働力にも対抗できるようになり、産業空洞化を防ぐ事ができるという意見が有る[誰?]

消費税の逆進性の解消

ベーシックインカムを導入することによって消費税の逆進性が解消される試算がある[誰?]。試算によると高所得者(年収1億円、年間支出2000万円)と低所得者(年収300万円、年間支出200万円)では高所得者から低所得者に年間90万円の所得移転がなされると同時に、ベーシックインカムを導入によって消費増税をしたにもかかわらず低所得者の所得が増えていることがわかる[19][要高次出典]

失敗を恐れずに経済活動でき、学生が勉学に励むことができる

現在の社会制度の下では起業に失敗すると経済的に困難な状況に陥るが、ベーシックインカムが導入されていれば、もともと最低限の生活は保障されているため失敗を恐れる必要がなくなるという意見が有る[誰?]。また学生が、生活していくため或いは小遣い稼ぎのためにアルバイトにあてている時間を学問・研究に回すことにより日本の学生の質を上げる)。

批判

BIを導入すれば政府の管理者・提供者としての側面が強くなり、人々の消費習慣までもが政府に管理・統制されてしまう可能性がある [20]。BIの権利を主張した者が給付された現金をギャンブルタバコアルコールなどの必需品でないもの、または法律に反する物品を手に入れるために使用するような事態になれば、これを防ぐために政府が新たな規制を導入すると考えられる。これは政府が国民に対して「BIを使ってあれを買えこれを買え、それは買ってはダメだ」などと国民の消費生活に統制を加えることと同義である[20]

BIを無条件で導入し社会保障を削減しない場合は、既存の社会保障制度(例えば低所得者層へのフードスタンプや住宅手当て)を利用して、企業が従業員の人件費を抑制する可能性がある。

経済学者ら[誰?]は言う。「賃金相場の底値は労働者の日々の生活にかかるコストで決まる。すなわち雇い主は、従業員に最低でもその従業員が食と住居を毎日得られる程度の給料を支払う[20]。」

この論理的帰結は、たしかにBIによって国はすべての人に最低限の生活を提供するが、労働は熟練労働であっても低賃金になる可能性があることだ。もし労働者が低賃金でも生活できるようになれば、国からの既存の社会保障に頼ることになり、企業は(人件費を抑制することで)収益を拡大させるだろう。これは本当に公衆が望むことだろうか。BIはユートピアに見えるのだが、国家と国民の関係を公衆にとって望ましいものにはしないだろう[20]

その他、財源の確保[9][13]や、「はたらかない生き方」を許容できるのか[10]といった課題があげられている[21][11][2]

財源の不安

ベーシックインカムはその莫大な財源をどこに求めるのかという点がつねに議論の的となる。これについては#財源案を参照。

精神論的なもの

勤労美徳
一つは、労働は対価だけではなく成長や学習の場で、そこに参加しない動機付けを与えるのはよくないという考え(これについては「生きがいの喪失・閉塞感」も参照)。また聖書からよく意味をすり替えて引用される「働かざる者食うべからず[22]という労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある。
財源との関係での精神論
財源の種類については#財源案参照。
財源を#税収でおこなう場合、労働と貨幣の給付が非常に強く結びついている人に対し、納めた税金を働かない人間が消費することへの同意を得る事は難しいという意見と、その一方で、人権思想に基づいた考えや、#景気刺激策としての効果としての側面から同意が得られる可能性があるという意見がある。また、財源を#貨幣発行益で実行する場合、納税された税金以外の大量の貨幣を政府が発行することに違和感を覚える人が現れるという意見もある。
犯罪の増加
刑務所に入ったあとでも生活の維持が容易になるため、刑罰による犯罪の抑止効果が減少するという意見がある。
生きがいの喪失・閉塞感
勤労美徳と関係するが、労働は対価だけを目的とするのではなく生きがいを提供するという機能も持つため、目標を喪失する個人が大量に現れるという意見がある[要出典]。逆に、ベーシックインカムは働くことを抑制するわけではなく、今まで通り働くのも選択肢の一つだという考えがある[要出典]
#余暇の充実も参照。
非労働者の海外脱出
包括的な所得保障は年齢を問わず労働放棄を招き、また給付が国籍や居住証明を対象とした恩給型給付である場合、書類上の給付条件を満たした労働放棄者が物価の安い海外へと離散することを助長する可能性がある。

使用方法に関連するもの

消費者金融の担保になる
ベーシックインカムが消費者金融からの借金や賭博に使われ[14]、貧しい人がさらに借金を膨らませるという意見がある。
資金の国外流出
将来への不安から外資系の保険会社へ支払うことによる流出、宣伝や知名度に秀でた大企業の製品に消費が集中し、国際的な経済の中央集権化が進行するという意見がある。
但しこの指摘は、地域通貨で解決するのではないかと云う意見もある。
地球資源・環境の破壊
人々がより多くのお金を手にすることで、家電などの買い換えサイクルが加速し、資源の枯渇、環境破壊が進むという意見がある。
詐欺
近年問題となっている年金詐欺(家族の死亡を隠し年金を騙し取る犯罪)と同種の詐欺があらゆる年齢で発生する懸念がある。
反社会的勢力の資金源
暴力団等、反社会的勢力の構成員にも給付されれば、それらの資金源となる恐れがある。

経済学的なもの

経費膨張の法則[23]
国家の経費はつねに膨張の圧力にさらされており、歳費削減問題は国庫の恒常問題である。主権者は国庫からの恩恵よりも国庫に対する義務をつねに過大に感じており、このことが財政需要を拡大させる。17世紀イギリスのウィリアム・ペティの時代から、国家経費の膨張あるいは冗費節減が指摘されてきた。アドルフ・ワーグナーによれば、戦争や大不況、大災害など社会的動乱により「人々は平時には容認できないと考えていた租税水準と収入増加の方法を危機時には認めるようになり、この容認は動乱自体が収束しても存続する。」その結果、動乱が過ぎると支出は下落しているのにも関わらず政府はこれまで必要とされながらも増税をしてまでは行わなかった諸政策の実施を図るようになり、結果として高い水準での財政支出構造が維持される(転移効果)とする。
所得の海外移転
外国との交易を前提にベーシックインカムを導入した場合、安くて品質の確かな海外製品の購入に一部の所得給付が向かうことで、内需の海外移転が発生し国内景気の刺激効果が低減する。この場合、日本政府の税収入を利用することで海外の雇用を維持していることになる。
これは一国だけでベーシックインカムを導入することの難しさを示唆しており、他国との税制との関係をみながら調整する必要がある。消費税(売上税)を税源としてベーシックインカムをおこなう場合、所得の海外移転については中立的である。
最低限必要な労働や労働の効率性
過酷な条件下での労働に関して就労人口が極端に減ってしまい社会が崩壊する、また、厳しい労働条件を強制できないことが社会全体の効率性を落とすという考えがある。反対に、ベーシックインカムは市場原理が働く前提下での制度のため、過酷な条件でも必要な仕事であれば賃金が増すため、賃金を目当てにその仕事をおこなう人が現れるという意見がある。
勤労意欲の低下
労働者の勤労意欲が低下し、無責任になる動機付けが起こるという考えがある[24]。また、経営者が安易に解雇を行う、ベーシックインカムの分だけ給与を減額するという意見があり、一方で雇用の流動性の上昇から労働者が流出するのを防ぐため給与水準は維持、もしくは上昇するという考えもある。
#非正規雇用問題の緩和#景気刺激策としての効果も参照
信用取引の限度枠の低下
銀行や信販企業が提供するクレジットカードやローンの限度枠は、利用者の年収や信用情報を参考にして決定されるが、ベーシック・インカム導入によって利用者がいつ雇用先から解雇されるかわからない状態になったとすれば、限度枠の査定に影響が出る可能性がある。
ベーシックインカムは安定した収入と見なせる一方で、低い収入は限度枠を下げかねない。限度枠が下がった場合、残額の一括返済を求められたり、新規のローンが組めなくなる事態もあり得る。住宅ローンや教育ローンなど抱えている家庭がある中、ベーシックインカムが個人の信用や負債に与える影響に対する議論は不十分である。

現行制度との兼合い

ベーシックインカムによる生活保護や公的扶助など福祉水準の低下
ベーシックインカムによって形式的に最低限の収入を保証された場合、それ以上の公的扶助を行うことは困難になる。必要に応じて更なる扶助も行えなくなることから、福祉水準の低下を危ぶむ見方もある。収入状況や保有資産の状況に関係なく平等に現金が給付されるため公的分配の平等性は確保されるが、制度設計によっては健康状態や困窮状態に関わらず給付が一律となるため社会的公正はかえって阻害される可能性がある。一方で行政コストは低下することが期待できるため全体での給付水準は上昇する可能性がある。
また、生活保護では級地制度など柔軟な対応が出来るが、原則一律に実施されるベーシックインカムではそれが不可能で地域によっては生活水準を下げてしまうという批判もある。
在日外国人特別永住者など日本国籍を持たない住民の取扱い
ベーシックインカムの給付対象について日本国民に限定しない場合、国庫収支が十分に計算できない状態で日本国内に移民が殺到し、国庫財政が破綻するという意見がある。
反対に、日本国民(日本国籍保有者)のみを対象とした場合、非対象者には納税義務だけが存在しベーシックインカムを受けられないことが問題になるという意見がある。これに対しては、それにも関わらず日本にきて就労する外国籍労働者がいるならば納得づくであり問題がないとの反論もある。他方、特別永住者にはこうした反論が成り立たず人道上の政治問題あるいは在日特権とみなされる逆差別的な優遇が生じるという見方も存在する。

財源案

山崎元の試算によれば年金生活保護雇用保険児童手当や各種控除をベーシックインカムに置き換えることで、1円も増税することなく日本国民全員に毎月に4万6000円のベーシックインカムを支給することが可能であるとする。具体的には日本社会保障給付費は平成21年度で総額99兆8500億円であり、ここから医療の30兆8400億円を差し引くと69兆円となる、これを人口を1億2500万人として単純に割ると月額4万6000円となる[25]小沢修司も月額5万円程度のベーシックインカム支給ならば増税せずに現行の税制のままで可能と試算している[26]

ベーシックインカムの支給額は日本では月額5万〜10万円程度で議論されることが多く、様々な財源案が提起されている。一方で多くの提案の背景には租税徴収確保主義("集めれば良い")があり、民主主義と財産権の観点から課税の正当性を記述する必要がある(目的税)。

たとえば受益が課税の正当性の根拠だと安直に短絡している議論もあり、公的分配の背景に財産権の公的侵害があるばあい、公平・公正の観点から、慎重かつ明確に政策目的とその限界が記述されるべきものである(租税法律主義租税公平主義)。かつてウィリアムズが唱えたような部分的BIとも呼ばれる少額のBIを考えるとする。純粋な5万円の支給のみでは無収入者の場合は最低限の生活は困難であろうが、政府が無収入者・低収入者に住居を無料ないし低額で提供すれば十分生活は可能である、という見解もある。この際、ミーンズテストは行わず、希望者全員に住居を提供するという形でよい。日本では、特に過疎地域の住居の空き家が増加してきているという現状があり、そういった住居を国が買い取り、無収入者・低収入者に提供すれば良い、という見解もある。[要出典]

また、5万円という額の支給があれば失業手当が無くとも、給付額でスーツを購入でき交通費も賄えるため就職活動が十分可能となり、何らかの資格取得の費用も調達できる。このように、「働く以前の問題」を解消するだけで、新たに職に就ける人々も多い。「より多くの収入を得たい人に平等のチャンスが与えられる」という点は、部分的BIの大きな存在意義の一つであろう、という見解もある。そして何より、5万円という低い額に支給額を設定することにより、BI実施による就労のインセンティブの低下は抑えられるであろう、という見解もある。ここでもう一つ考えなければならないのは、疾病や障害を抱えている人の中には就職するという選択肢が無い場合もある、ということである。すなわち彼らが問題なく生活を送っていくために何らかの考慮をする必要がある。これについては疾病や障害の度合いに応じて、BI給付額を増額 ないし医療や介護などにかかる費用を減免あるいは免除するなどして現物給付面を充実させるなどして対応することが望ましい、と言う見解もある。[要出典]

税収

所得税」、「消費税」、「環境税」、「相続税」などが挙げられる。ゲッツ・W・ヴェルナーは、ベーシックインカムを導入するとともに所得税や法人税を廃止し、消費税に一本化すべきと主張している。BIの財源を消費税のみで賄おうとする場合、現行の消費税率8%を27.8%引き上げた35.8%にする必要がある。これは諸外国で高い税率を課しているハンガリー、アイスランド、スウェーデン各国それぞれの消費税率27%、25.5%、25%よりはるかに高く、やはり消費税のみで財源を賄うことは非現実的である。

消費税の引き上げだけでなく、他の税の増税も組み合わせて考えた場合を考える。例えば、相続税の税率 を100%に引き上げた場合を考える。国税庁によると2011年の相続税の課税価格は10兆7,299億円であり、税額(税収)は現在1兆2,520億円である。税率を100%にした場合すなわち、課税価格と税額がイコールとなった状態では、当然税額は10兆7,299億円である。この額と消費税増税分でBIの財源を賄うとすると、先述の計算方法のように試算すると消費税率は5%から約26%引き上げた31%で済む。しかしながらこの税率の設定は現行の税制においては非現実的である。なぜなら、相続税率だけをむやみに上昇させる場合、生前の贈与いわゆる節税が何らかの形で横行することが予想されるからである。すなわち、相続税率を引き上げ、税収を増加させるには贈与税率も同時に引き上げる必要がある。しかし贈与税収の上昇を図ろうとする場合、贈与の実態をすべて把握できるとは限らないため、安定的な税収増は望めない。その際監視を強化する手段もあるが、それに伴い監視のコストがかさむこととなり、行政コストを削減するというBI本来の存在意義に反する。そのため、相続税をBIの主たる財源とするのは非現実的であり望ましくない。

所得税率を現行より引き上げた場合、壮年層から税収は得られても退職した高齢者からは税収は得られない。日本が少子高齢化の国家である以上、安定した税収を目指す場合、高齢者から税収を得られにくい所得税の税率引き上げは望ましくない。なぜなら税収増の効果が薄いうえに、今後も少子高齢化が進み、所得税による税収確保がますます難しくなるからである。

次に法人税の場合を考える。法人税をBIの財源と考える場合、経営者たちの合意を得る必要があるが、BIが労働意欲の減退を招き、労働供給が減少する可能性がある以上、経営者たちにとってBI導入にはデメリットが伴う。したがって、財源までをも経営側に要求するのは非現実的である。仮に要求する場合は、社会保険の法人負担部分を免除するなど、経営側への配慮が必須となるであろう。ただ、経営側の理解を得られたとしても、法人税率を引き上げることは望ましくない。なぜなら、日本は他国に比べ、法人税率が既に高い水準にある からである。その状態で税率を更に引き上げると、日本の企業が拠点を海外に移し、産業の空洞化に陥るため、経済成長に負の影響を及ぼしてしまう。またよく言われているように、法人税は、景気変動の影響を受けるため、安定した税収が望めない。やはり法人税をBIの財源として考えるのは、様々な理由で困難を伴う。

優等生キャラが嫌いだ。
喩えて言うと、昔の谷亮子みたいな。
真面目で、清潔で、一点の曇りもない良い子、そういう奴を見ると虫唾が走る。
一体、誰の目を気にして優等生を演じてるのか?
谷亮子がナンチャッテ政治家になってから、「生活の党と山本太郎となかまたち」から「自民党」に鞍替えすると言い出した。
社民党や民進党なら、まだ判る。
しかし、政策が真逆の自民党に鞍替えって一体なんだ?
ノンポリのタレント議員なんた要らない。
三原じゅん子も今井絵理子も要らない。
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政党交付金を不正利用。谷亮子元参院議員(41)が政治交付金(つまり税金)から勤務実態のない父親に数百万の給料を渡していたことが判明。
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オリンピックで金メダルを獲っていた頃の優等生キャラの谷亮子は一体どこへ行った?
一枚、皮を剥けば、これが本当の姿か?
そういう裏表ある人間が嫌いだ。

ミクシア属(ミクシアぞく、Mixia )は、植物寄生菌の1属。担子菌に属し、現在は1種のみが知られる。分類上も独特でこの1種で独立の綱を立てる。ゼンマイに寄生している。

概説

ミクシア属は現在のところはただ1種、M. osmundae 1種のみが知られている。発見は多くないが分布は東アジアと北アメリカにわたる。すべてゼンマイ属の葉に寄生して発見されている。多核菌糸体を宿主細胞中に発達させ、円柱形の胞子形成細胞を宿主表面に出し、その表面に胞子を作る。

本種はその研究史も錯綜している。当初その構造がタフリナに似ているものと把握され、最初はこの属の新種として記載された。その後の研究でその違いが指摘され新属を、さらには新科を立てる説が出たものの子嚢菌であるとの判断は変わらなかった。しかし分子系統の研究で担子菌類に類縁があることが発見され、その形態なども見直しが行われ、現在では担子菌類中に独立綱を立てる扱いが為されている。

特徴

知られている種は上記のように1種のみなので、それに即して記す[2]。植物寄生菌であり、宿主植物はシダ植物ゼンマイ属のものだけである。本種が感染すると、シダの葉には黄色から褐色の小さな病変部が出来る。その部分には胞子による白い粉の層が生じる。

菌体は宿主細胞壁の内部で発達し、当初はまばらに隔壁を持つ菌糸となるが、後に多核体となり、その内部には小さな核を多数含む。胞子形成は、まず宿主の表皮の細胞壁の下に膨大した細胞を生じ、そこから嚢状の胞子形成細胞が出て、その表面に多数の胞子を同時に外生する。この胞子は単一の核のみを含む。胞子形成細胞は棒状から洋なし状の形で長さ24-60μm、幅9-25μm程度、出芽的に形成される胞子は多数あって楕円形で長さ3-4.5μm、幅1.5-2.5μmで無色[3]

培養

胞子を取り出しての培養は可能で、通常の培地上で成長する。Nishida et al(1999)ではコーンミール寒天培地に麦芽抽出物、酵母抽出物などを加えた培地で単胞子培養に成功している。それによると20℃で10日間培養したコロニーはその直径が15mmほど、やや粘液質に見えて白からクリーム色であった。これは2週間後にはややピンク色を帯びたクリーム色に変わった。菌は出芽によって増殖する、つまり酵母状の姿をとる[4]

分布

発見の記録はごく少ない。日本と台湾ではゼンマイ Osmunda japonika 上で、北アメリカでは同属の O. cinnamomea 上に寄生して発見されている[5]

生活史

上記のように宿主上で細胞内部で成長し、胞子形成細胞を表面に出して単核の胞子を作ることが分かっているが、それ以外の部分は不明である。またこの胞子が単相か複相か、単相であれば体細胞分裂によるものか減数分裂によるものか、といった部分は解明されていない。また胞子の発芽や宿主への感染に関しても観察例がない。Toome et al(2014)はこれらをゲノムの解析によって検討し、培養下の酵母状の菌体は単相であり、胞子の形成は無性的に行われるとの判断を示している[6]

系統上の問題

本属の胞子形成部の構造とその胞子の形成過程は菌類中で他に類似したものがない[7]。その分類的な位置づけに関しては分子系統の情報に基づき、Hibbett et al.(2007)が上掲のような分類体系を示している。

ヨハネウム学院 (Gelehrtenschule des Johanneums) は、ドイツのハンブルクにある学校。ハンブルクで最も伝統のある学校で、創立は1529年[1]。ラテン語とギリシャ語を教える学校である[2]

歴史

ブーゲンハーゲン(1532年)

ヨハネウム学院はヨハネス・ブーゲンハーゲンドイツ語版(1485-1558)によって1529年に設立された。これには宗教改革と新旧両派の対立が深く関わっている。ドイツ北部の帝国自由都市ハンブルクでは、新教側旧教側の教会の特権や資産を剥奪し、それを以って新しい学校の設立に充てたのだった。

宗教改革と古典語教育

ブーゲンハーゲンは、宗教改革を行ったマルティン・ルター(1483-1546)の右腕とも言える存在で、ヴィッテンベルクからルターの教えをドイツ北部や北欧に広めた人物である。ルターはラテン語を読めずドイツ語しかわからない民衆のためにドイツ語訳聖書を作ったが、それはもっぱらドイツ南部で使われている高地ドイツ語に則って書かれていて、ドイツ北部で使われている低地ドイツ語地域では必ずしもじゅうぶんに意味が通じるものではなかった。ブーゲンハーゲンはルターの聖書をさらに低地ドイツ語に翻訳し、ドイツ北部からバルト海沿岸、北欧へと伝導していったのである[3][4]

彼らはまた北ドイツ各地の領邦諸国や自由都市の学校改革に取り組んだ。その中心となったのが「ギムナジウム」(Gymnasium)と称する中等教育機関の設立である。中世以来、諸国の大学(高等教育機関)では、哲学神学を修めるための準備段階として、ヘブライ語ギリシア語ラテン語の3古典語と数学といった、基礎的素養を習得する期間を設けていた。ギムナジウムはそうした準備教育を引き受ける機関として創設され、大学は準備教育から解放されることになった[注 1][5][6][3]。学者を育てるための学校という目的のため、「ギムナジウム」は「学者学校」の訳語が当てられる場合もある。これに対して学校卒業後に社会にでる者を養成することを目的とする学校を「Realschule(リアルシューレ、実科学校)」という[7]

創立者ブーゲンハーゲンの銅像

なお、現代の教育体系では「ギムナジウム」は中等教育機関に位置づけられているが、当時は、大学への準備教育として古典語教育を行うという趣旨の学校があちこちで設立されるにあたって、名称は領邦ごとにまちまちだった。「ギムナジウム」以外に用いられた名称としては、「Fürstenschule(フュルステンシューレ、王侯学校[注 2])」、「Landesschule(ランドシューレ、領邦学校)」、「Pedagogium(ペダゴギウム[注 3])」などがあり、総称として「Gelehrtenschuleゲレールテンシューレ、学者学校、古典語学校、教養学校)」とも言う[6]。ヨハネウム学院もギムナジウムとして設立されたものであるが、名称は「Gelehrtenschule des Johanneums」と「ゲレールテンシューレ」を称している[5][6][3][8]

南部弁(なんぶべん)または南部方言(なんぶほうげん)は、江戸時代南部氏が治めた盛岡藩および八戸藩にあたる地域(南部地方)の日本語の方言東北方言の一つであり、北奥羽方言に分類される。

南部氏の知行域は、青森県の東半分と岩手県の北部および中部に秋田県の北東部の一角を加えた広大なものであり、かつ、山脈などの自然障壁による隔絶や、西廻海運東廻海運などの海を介した交流によって地域差が大きい。また、上記3県各々で「南部弁」という場合は、自県内の南部弁を指すため、狭義の南部弁はどの県民が言うかで定義は異なる。


話される地域と方言区分

青森県

青森県
緑 : 南部地方(南部弁)
白 : 津軽地方津軽弁

青森県の西半分は津軽氏が治めた津軽藩であり、津軽弁が話されている。一方、同県の東半分は南部氏が治めた八戸藩と盛岡藩とで占められ、南部弁が話されている。青森県内の方言は、大きくこのふたつに区分される[1]

青森県内の南部弁を区分する場合、八戸・盛岡両藩の間の藩境は方言の境とされず、旧をもとに区分される。旧郡とは下北郡下北地方)・上北郡(上北地方)・三戸郡(三地方)の3郡であり、各々の方言は「下北方言」「上北方言」「三八方言」という[2]。このうち、下北方言は特に他との差異が大きく、南部方言から切り離して区画する場合もあり[3]、この場合は上北および三八の方言を狭義の南部弁とする。下北地方は、陸奥湾を行き交う船の往来により他地方との交通が盛んであったため、下北方言は、南部方言を下地にしながらも津軽方言や北海道方言的な面もみられ、また他にはない独自面も持ち合わせた方言である[3][4]

農村部から都市部へ人口が移動した現在では、この地域における人口集積地であり文化的中心でもある八戸市あるいは八戸都市圏の方言を八戸弁とする例も見られる。

岩手県

岩手県の北部から中部にかけてはかつて南部氏が治めた八戸藩および盛岡藩が広がっていて、南部弁が話されている。一方、岩手県南部は伊達氏が治めた仙台藩(伊達藩)および一関藩が広がり、仙台弁が話されている。岩手県内の方言は、北部から中部にかけての中北部方言(旧南部藩域)と、南部方言(旧仙台藩域)に分けられる[5][6]。東北方言の下位区分である北奥羽方言に南部藩域が属する一方、仙台藩域は南奥羽方言に属する。岩手県内で南部氏領内の方言を南部弁というため、それにならって伊達氏領内の方言も「伊達弁」という例が見られる(宮城県内では仙台弁を伊達弁とは言わない)。南部氏と伊達氏の知行域の境界は、北上市内を通って東に向かい、遠野市の南辺を経て釜石市内を通って三陸海岸に至る。

岩手県内の方言には、太平洋側の福島・宮城方面から北上してきた南奥方言系統のものと、日本海側の新潟・山形方面から北上して青森県でUターンして岩手県へ入った北奥方言系統のものがみとめられる[7]

岩手県内の南部弁を分類する場合、以下のように3区分する[6][5]

  • 北部方言地域 - 秋田県・青森県に接する地域
  • 中部方言地域 - 盛岡市を中心とする内陸部
  • 沿岸方言地域 - 北部方言地域以外の沿岸部。岩手県南部方言(旧伊達藩域)も一部含む。

秋田県

秋田県・鹿角地方
黄:鹿角市
緑:小坂町

秋田県の鹿角地方鹿角市小坂町)はかつて南部氏領であったため、鹿角地方の方言は他の秋田弁とは区別される。

発音

発音の特徴は他の東北方言、北奥羽方言と共通する。東北方言一般にはシとス、チとツ、ジとズの区別を失っているが、岩手県沿岸方言では明治生まれの住民も区別がある。シとスを区別しない地域については、本項では、「し/す」のように表記する。また、東北方言の特徴として濁音は直前に鼻音を伴うが、本項ではこれを()と表記する。

アクセントは、外輪東京式アクセント、あるいはその変種である。「あたが」(頭が)のように、アクセントの高い部分は一語につき1拍までという特徴がある(東京では「あたまが」)。2拍名詞第4類・5類は原則として「め」(雨)のように頭高型だが、盛岡市など岩手県中部では、「糸」「舟」など2拍目の母音が広母音(a、e、o)の場合は「い」のように尾高型になる場合がある[8]。一方、八戸市[9]や三陸海岸沿岸部ではこのような変化は起きず、頭高型である。また岩手県洋野町種市ではアクセントが周囲から一拍前ずれしたような形で、一見すると京阪式に似ているアクセントが存在する。

文法・語法

全般に東日本方言の特徴を持つが、沿岸部では北前船の影響で近畿方言に由来する表現もみられる。(「おおきに」など)。また下北半島上北三八に理由の接続助詞「さかい」に由来する「すけ」や「すて」がみられ、三陸中部には「けに」「けえ」がみられること[10]は、遠く西日本方言の影響が三陸にまで及んでいたことを示唆する。

関門トンネル(かんもんトンネル)は、関門海峡をくぐって本州九州を結ぶ、鉄道用の水底トンネルである。九州旅客鉄道(JR九州)の山陽本線下関駅 - 門司駅間に所在する。単線トンネル2本で構成され、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルである。

マンハッタン区(ニューヨーク市)

マンハッタン

マンハッタン区(ニューヨーク市)
ニューヨーク郡(ニューヨーク州)

Manhattan Borough
New York County
NYC wideangle south from Top of the Rock.jpg
マンハッタン区(ニューヨーク市)ニューヨーク郡(ニューヨーク州)の市旗
区/郡旗
愛称 : The City
位置
マンハッタン区 / ニューヨーク郡の位置図
マンハッタン区 / ニューヨーク郡
座標 : 北緯40度47分25秒 西経73度57分35秒
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 州 ニューヨーク州
 市 ニューヨーク市
 区/郡 マンハッタン区(ニューヨーク市)
ニューヨーク郡(ニューヨーク州)
区長 スコット・ストリンガー英語版
民主党
地理
面積  
  区/郡域 87.46 km2 (33.77 mi2)
    陸上   59.47 km2 (22.96 mi2)
    水面   28.0 km2 (10.81 mi2)
      水面面積比率     31.2%
人口
人口 (2006年現在)
  区/郡域 161万1,581人
    人口密度   25,846人/km2(66,940人/mi2
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
マンハッタン区はニューヨーク市の行政区、ニューヨーク郡はニューヨーク州の。両者の領域は同じ。
公式ウェブサイト : Manhattan Borough President
ハミルトン・パーク英語版から望むマンハッタン島

マンハッタン(Manhattan、英語発音: [mænˈhætn])は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市の地区名で、ハドソン川河口部の中州であるマンハッタン島 (Manhattan Island)、あるいは、マンハッタン島が大部分を占めるマンハッタン区 (Manhattan Borough) のことである。ニューヨーク州のニューヨーク (New York County) の郡域もマンハッタン区と同じである。マンハッタンはニューヨーク市の中心街とされる。

ニューヨーク州の行政上の州都はニューヨーク市のほぼ真北233キロメートル(145マイル)にあるオールバニに置かれているが、アメリカ最大の都市圏人口を背景にした経済・文化面の影響力により、ウォール街を擁するニューヨーク市のマンハッタンがニューヨーク州の中心であるともいえる。





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