カテゴリ: スポーツ、サッカー、野球、テニス、フィギュアスケート
#カーステン・チャールズ・サバシア・ジュニア とは?
カーステン・チャールズ・サバシア・ジュニア(Carsten Charles "CC" Sabathia Jr. , 1980年7月21日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ヴァレーホ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLB・ニューヨーク・ヤンキースに所属している。
身長6' 7"(約200.7cm)・体重290 lb(約131.5kg)の巨体から、速球とスライダーやチェンジアップなどの変化球を繰り出す、2000年代後半~2010年代前半のMLBを代表する先発投手のひとり。
かつては登録名をC.C.サバシア(C.C. Sabathia)としていたが、2008年シーズン途中の移籍を機に終止符をなくしたものに変更している[2]。
ニューヨーク・ヤンキース #52 | |
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2012年9月6日
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州ヴァレーホ |
生年月日 | 1980年7月21日(36歳) |
身長 体重 |
6' 7" =約200.7 cm 290 lb =約131.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト1巡目(全体20位)でクリーブランド・インディアンスから指名 |
初出場 | 2001年4月8日 オリオールズ戦 |
年俸 | $25,000,000(2016年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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#リカルド・ロペス とは?
功績
WBC、WBA、WBOの3つのボクシング世界団体のミニマム級世界王座を獲得した[1][4]。また後に階級を移動し、IBF世界ライトフライ級でも世界王者となり2階級を制覇している[1][4][5]。また世界王座を11年間に渡り維持し、合計26回の王座防衛戦を戦った[5]。
生涯プロ全戦績52戦のうち、引き分け1戦を除く全戦で不敗のまま引退した[1][4]。これは「36歳時点でプロボクサーキャリア17年のうち50勝1引き分け不敗の戦績」としてギネスブックに登録されている[5]。
2002年12月2日発表の引退試合を報じたイギリスのBBCニュースでは「完璧な技術を持つファイター (technically perfect fighter)」「ボクシングの天才 (boxing genius)」と絶賛されている[3]。
2007年6月7日にはアメリカ合衆国のニューヨークにある国際ボクシング名誉の殿堂博物館にて殿堂入りした[1]。
戦績
ロペスのアマチュア戦績は9歳のときに始まり、アマチュア戦績全勝を経て1985年1月18日、20歳のときにプロデビューし、メキシコのモレロス州クエルナバカでロヘリオ・ヘルナンデスと戦い3ラウンドでノックアウト勝利した[1]。
1990年10月25日、ロペスはWBC世界ミニマム級王者であった日本の大橋秀行に挑戦するために来日し、東京都で行われた王座獲得戦の結果、は4ラウンドにロペスが大橋をTKOで勝利[4]し、ロペスが世界王者となった[1]。ロペスはその後この王座を21回防衛した[1][4]。
ロペスはこの頃までに両腕の腱と眉の周りを負傷しており、1995年にこれらの治療を行っている[5]。
1998年3月7日、全戦績中唯一の引き分け相手であるニカラグアのロセンド・アルバレスと戦い、このときはロペスの頭部の負傷によりテクニカル・ドローの判断が下され[3]引き分けとなった[4][5]。アルバレスとはその8か月後に再戦し勝利している[4]。引退に際してロペスはこの戦いを振り返り、「私の全戦績中最も困難な戦いはニカラグアのロセンド・アルバレスとのWBA王座決定戦だった ("One of my hardest fights was against WBA champion Rosendo Alvarez of Nicaragua.")」と語っている[5]。
1999年にロペスはライトフライ級に移籍した[1][5]。これによりWBCはロペスのWBC世界ミニマム級王座を剥奪した[1]。
1999年10月2日、当時IBFライトフライ級世界王者の座にあったアメリカ合衆国のウィル・グリッグスピーに挑戦し、12ラウンドで勝利しWBC世界ミニマム級に続く2階級での世界王者となった[4]。
引退後
ロペスの引退発表はWBC世界ミニマム級王座獲得の12周年となる2002年10月25日に行われた[4][5]。アマチュア時代、プロ時代を合わせたボクシングキャリアは合計で26年に及ぶ[5]。引退時点での年齢は36歳だった[3]。
現役引退後は2007年時点ではメキシコに在住しており[4]、メキシコおよびスペイン語圏最大のテレビネットワークであるテレビサにボクシング評論家として勤めている[6]。
2005年9月12日発表の、イギリスのBBCニュース集計による読者投票のランキング「あなたのパウンド・フォー・パウンドリスト (Your pound-for-pound lists)」では10位にランクインした[7]。