芥川賞受賞作品であるにも関わらず、綿矢りさの『蹴りたい背中』はドラマ化も映画化もされていない。
物語に起伏がなくて、物凄く変態的なんだけど、そのキモチワルサを映像化しても見てくれる観客はいなさそうだ。
ずっと、そう思ってきた。
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でも、又吉直樹の『火花』がNetflixで映像化されたのを見て、『火花』がイケるんなら『蹴りたい背中』もイケるんじゃないか?そう思うようになった。
映像化された『火花』では、はっきりと表立って前に出してはいないけど「夢追いかけて破れる若者像」を描いてる。
これはいつの時代でも、世界中のどこでも普遍的に受け入れられるテーマだ。
蹴りたい背中』でテーマにするとしたらなんだろうか?「青春のモヤモヤ」?
確かに青春のモヤモヤであるのだけど、それじゃ弱い。
好きなものへの憧れと、それに近づこうとする空回り」?これは結構イケてる。でも、まだ弱い。
ひとつのテーマを決めて、それを表現するために物語を展開する。
テーマが骨で、ストーリーが肉で、演者が皮膚だ。外から見えるのは皮膚だけだが、中には肉と骨がある。
日本映画には、いや外国映画にもあるけど駄作で輸入されないだけかもしれないが、皮膚だけで中身の無いゴム風船みたいな映画もある。そして、大抵そういう映画は駄作でコケる(赤字になる)。
綿矢りさ原作の映画『インストール』は、そういう中身の無いゴム風船みたいな映画だった。案の定コケだ。監督の片岡Kは、それきり映画を撮らせてもらえない。
インストール』のテーマにするとしたら、「女子高生の自分が何者でもない不安、将来の朧気な不安」といったことだろうか?『インストール』の主人公に上戸彩は明るすぎる。もっと暗い子がいい。ゾッとするような笑顔の子がいい。赤い口紅を引いて。
こうやって、いろいろ考えることで自分の小説の構成をどうするか考える。勉強になる。